「イマダ モクケイニ オヨバズ」
昭和の名横綱、69連勝という偉業を成し遂げた双葉山が、70連勝をかけた1番に伏兵とも言える力士に破れた直後、師と仰ぐ安岡正篤に打ったと言われる電報文です。
少し前に人から教えてもらったこのありがたい話を、どういうことかゴルフ場という場所でしみじみと噛みしめています。
木鶏の出典は中国の故事ですが、闘鶏の好きな王が、訓練にために調教の名人に軍鶏を預けた時の話が元になっています。
鶏を預けて10日ほど経った頃、「もうよいか」と尋ねられた名人は「まだまだ空威張りするところがあります」と答えました。さらに10日経って、王がまた聞いたところ「まだだめです。相手を見ると興奮するところがあります」。また10日経って聞くと「まだです。相手を睨みつけて圧倒するところがあります」。
さらに10日経ってまた聞きました。「よろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも変わるところがありません。その姿はまるで木鶏のようです」と答えたとのことです。
このように、木彫りの鶏のように動じるところがないことを喩えたものです。
詳しくはこの本に書かれていますが、これを初めて聞いた時は人生の様々な場面における人としてのあり様について考えさせられたものでした。
それが今やゴルフをしていて思い出すようなことになっています。これを進化と呼ぶのでしょうか。
ゴルフが人生に例えられるのも、この年齢になってくると、よく理解できるようになりました。
この逸話で言えば、軍鶏の成長過程、つまり「空威張り」「相手を見ると興奮」「相手を睨みつけて圧倒」というような段階にあるうちは、ゴルファーとしては未熟であるということでしょう。
双葉山の高い精神性とは比較の対象になりませんが、周囲の影響を受けているようでは、まだまだ木鶏たりえずです。
そんなことで、木鶏となるためには何が必要なのか、少しは考えるようになりました。
それが簡単にわかれば苦労はしないわけですが、ひとつには、ゴルフに関して「心が整理されていない」ということかなと。それはこの本からヒントを得ています。虚心であることとと「メンタル」は違うという点に共感しています。
まずは、虚心、そこからゴルフの扉は開かれると。
ゴルフに深く悩んだあなたが最後に読むスウィングの5ヵ条 完全版 (文春文庫)
実際にボールの前に立つと、色々な雑念に襲われます。一度のミスが次のミスを呼び起こします。こうした現象(心の動き)をどのように処理していくか、これが大きな壁になってきました。虚心であることは想像以上に難しい。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。